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2009年6月

6月は蒼く煙って

昨日の夜から今日とひどい土砂降りだった。
これまで、雨が少ないと思っていたのもつかの間、今日はまさに「盆をひっくり返した」ような雨。

ちょっと遅い梅雨入りって感じの天気だ。
前半、雨が少なかったせいか、6月ってジメジメしたイメージがあったが、晴れていると意外にさわやかな季節なんだと知った。
もう7月、今年も前半戦は終り、これから後半線に突入だ。

仕事はと言えば、明日、また大きな仕事がひとつある。
来月になると少し落ち着くだろうか?

今日は朝寝不足と二日酔いで、気まぐれで2時間ほど遅れて出勤した。
全然出勤できる時間には、とっくに起きていたのだが、行く気にならなかった。
しばらく休みなんてとっていなかったし、気分で休みたいときのために有給休暇なんてあるのだからと思い、「病院に行ってきます」と言って、そのまま2度寝。
僕の職場、硬いところは硬いが、こういったところはとても寛大である。

今日からまたノンアルコールデー
最近週末しか酒は飲まない。
今日みたいに二日酔いになるのが最近はとても耐えられない。
歳のせいだろうか。

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心に休日をあげましょう

切り替えられない自分の道は

数えきれない言い訳で守られている

荷物を持って振り返ったら

眠れない夜に苛まれ帰れないから

(EPO 「見知らぬ手と手」 1992)

世界のスター、マイケル・ジャクソンが亡くなった。
嘘のような本当の話だ。
マイケル・ジャクソンと言う人物は、僕からすれば、自分自身を実験台にして、一般の人が興味はあるけれど出来ないことを、生きたサンプルのようにやってのけた人だと思う。

そう言った意味では、貴重な人物だったと思う。
不思議なことに、変になればなるほど人間としての羞恥心のようなものは麻痺され、もっと過激に過激になるらしい。
ここまで来ると、世間に対しても自分に対しても“恥ずかしい”などと言う気持ちはなかったに違いない。
何を持って普通と言うか、基準と言うか、ボーダーラインと言うべきかわからないが、そのようなものは超越していた人物だと思う。

同じような人間では、女性のマドンナがいるが、彼女はマイケルとは全く違う。
マドンナは誤解を恐れずに言えば、究極に普通の人だと思う。
その普通さも極限まで追求すれば、普通ではなくなるのが不思議。
彼女はマイケルとは正反対で、万人が考えるストイックさやメンタル性やスピリチュアルな部分を究極まで追求した、超オーガニック人間だと思う。
そこが彼女のすごさだ。

まあ、世界広いのだから、いろんな人がいる。

子どもの頃。
僕も自分が、天才だとか思っていた時期がある。
全く根拠も何もない話であるが、なんとなく、自分は特別だとか思っていた。
今は、ごくごく普通だとは思わないが、それなりに凡人だと思っている。
自分が病気になったり、落ち込んだりするとき、「やっぱ、自分も人間だな~」とか考えたりする。

人間の集まるいろんなコミュニティの中では、得をしたり損をしたり、する人がいたり、また強い人や弱い人がいたりする。
一見、得をしたり自分の意見を曲げない人がいたりする人が、強いように見えるがそれは、錯覚だ。

キレる人は皆弱い。
その原因は、どこにあるのか人それぞれであるが、他人を脅かすような振る舞いをする人の根底にあるのは“不安”や“小心さ”であったりする気がする。
そう言う人に限って、もっと強い人には弱く、やたらと御機嫌を取ったりするものだ。

若い頃にはわからないかも知れないが、人の本当の強さと言うものは、傷つくことを避けることではなく、その痛みにどれだけ耐えられるかと言うこのとのような気がする。

“しなる枝ほど強い”

最近聞いた言葉であるが、本当にそうだな~と思う。
結局、得をするのは人生をかなり経てきた頃だと思う。
ある時になって、自分の歩んできた道を振り返る。
その時になって気づくようなものだ。

人に対しては、できるだけ、優しく接すること、それが自分自信を幸せにする。

これは、最近僕が感じる、ひたひたと打ち寄せるような想いだ。

「弱さ」とは「優しさ」の原石である。

せっかく与えられた命

自分の心は自分で理解してあげようね。

辛い時は、「弱さ」を持ち合う人間同士で

寄り添えば、きっと、大きな波になる。

今、辛い人がいれば、僕はこう言ってあげるだろう。

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夜は心の遊歩道

君の家のほうに 流れ星が落ちた

僕はハミガキやめて 電車に飛び乗る

今頃君は 流れ星くだいて

湯船に浮かべて 僕を待ってる

(宮沢和史 「中央線」 1996)

最近、ほんの少し、仕事が落ち着いて来た気がする。
早起きをして、犬の散歩など出来ると言うことは、気持ちに余裕がある証拠だ。
酒をあまり飲まなくなってから、夜やることがない。

早めに布団に入り、薄暗い部屋で静かな音楽を聴きながらウトウトするのが至福の時だ。
寝る時は、アロマを焚くのも習慣である。
先週買った「ロンドン」と言うアロマオイルの香りが気に入っている。
なんとなく、都会的で爽やかな香りだ。
こうしていると、気持ちが落ち着き精神が安定する上、想像力が豊かになるようだ。
アルファ波が出ているのだろうか?

今日、職場で話したが、今、日本中どこも皆疲れており、やらなければならないことに追いついていない状態のような気がする。
上の立場の者は「あれやれ、これやれ」で下に指示するが、現場で動くものは「おい、ちょっと待ってくれ」とフーフー言っているのは、どの世界でも同じであろう。
「心の病」とか言うと、もうありきたりのような気がするご時世である。

僕が子どもの頃から考えてみると、日本社会も少しずつ変化、と言うか進歩を遂げており、価値観もかなり変わったのではないかと思う。

例えば、“自閉症”や“ダウン症”、“高機能自閉症”など発達障害がある方に対してもここ20年くらいで随分とらえ方が変化したし、それを追うように“うつ病”や“アルコール依存症”、“統合失調症”のような精神障害をわずらう人への偏見も随分なくなったのではないだろうか。

ちょっと話は変わるが、体罰の問題や差別の問題、虐待やDVなども、僕らが子どもの頃に比べると随分、感じ方、とらえ方が変化した。

これらのことを考えてみると、これらの進歩と言うのは、「ひとりの人間としての人格」が尊重されるようになって来たことだな、と思う。

ただ、時代はそれとは逆風で、日本中、依然として疲れた疲れたを連発しているし、介護問題は広がるし、自殺者は増えるし、「あなたの会社はメンタルヘルスはやってますか?」と言われる雰囲気だ。

また、一昔前まで“ポジティブ・シンキング”と言う言葉が流行ったが、今は、「頑張り過ぎないようにしましょう!」と言う世の中だ。
ちなみに僕は昔から“ポジティブ・シンキング”などと言う言葉はキライだったが。
ちなみにフランチェスカは昔から“ポジティブ・シンキング”と言う言葉が好きだったらしい。
彼女はアルフィー&渡辺美里ファンなのだ。

恐らく、現代の日本のこれらの問題は、起こる原因に対して現実の環境がそぐわないことではないかな?
しかし、こんな世の中も、近い将来きっと変わるに違いないと僕は思う。
さっき書いた、発達障害や精神障害や体罰などが淘汰されてきたように、労働環境や社会福祉、それに伴う疲労やストレスの問題や人権の問題も淘汰されるであろう。
いや、そう信じたい。

たとえ会社が傾くようなことがあったって、いいんですよ。

それが必要なときは、そうなるんです。

それよりも、人ひとりの命が犠牲になることのほうが

深刻なことなんです。

今、隣に疲れている人がいたら、こう言ってあげたい。

↓癒しの風景 (2006年に言った済州島の海)

Jeju068

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夏のまぼろし

我が家では、夜寝る時、BGMをかける。

いつも聞くのは、ゴンチチと「美しの里」と言う音楽だ。
「美しの里」と言うCDは去年の秋、家族で葉祥明美術館に行った時買ったものだ。
これが、とても良い。
安眠とマインドクリーニングにはもってこいの作品だ。
そのゴンチチと「美しの里」の音楽をミックスしたものを聴いていたのだが、最近僕の趣味で、矢野顕子のピアノ引き語りや小田和正の音楽も取り入れた。
いい音楽だと思ったが、フランチェスカに言わせると「うるさくなった」とのことである。

その中で、矢野顕子が「夏のまぼろし」と言う鈴木祥子の作品をカヴァーしている。
この曲はちょっと聴くとマッタリとした感じなのだが、歌詞をじっくり聴くと悲しい歌だ。
さっきの話と矛盾するようだが、フランチェスカはこの曲が大好きらしい。

なつかしいあの場所で

笑って手を振るのは

半分も生きないで

夏とともに逝った人

全てを燃やし尽くすほど

今は生きていたいと思う

もしもたったひとつでも

できることがあるなら

だからここに座って歌っていよう

ちょうど小さなてのひらに

包めるくらいの歌を

(鈴木祥子「夏のまぼろし」 1990)

考えてみれば、フランチェスカの仕事関係の人で、僕も知り合いだった人が他界して、もうすぐ1年になる。お盆の頃だった。
35歳と言う若さだった。
とてもパワフルな人だっただけに、訃報を聞いた時は意外だった。

死に直面すると、生きていることに感謝しなければ、と思う。
でも、すぐに日常に紛れて忘れてしまうものだ。
人の人生は儚いが、それを受け止める人の心も儚い。
今の歳になって思うことは、生きていくことは、もう、それだけで貴い。

頑張らなくてもいいんだよ。

無茶しなくてもいいんだよ。

高い目標を持つことで、自分を見失ったり

周りの人を傷つけるより、

今あるモノを大切にしようよ。

今、もし近くに辛い人がいたら、こんな風に言ってあげたいと思う。

「美しの里~四季~」の特設サイト

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Walking In The Rain

今日は、朝から梅雨らしい天気。
前にも書いたが雨は個人的にはそんなにキライではない。
グルーミーな景色と言うのがなんとも風情があっていいのだ。

雨をモチーフにした曲も好きだ。
スプリンクラー(山下達郎)
雨のステイション(荒井由実)
Waling In The Rain(尾崎亜美)
雨の水曜日(古内東子)

などなど

最近思ったのだが、ピアノの音は雨の音に比喩される気がする。
上記の中で尾崎亜美の「Walking In The Rain」など、ピアノ一本で弾き語りだ。
そのピアノの音がなんとも、雨の情景を描いていていい。
そういえば、クラッシックでもあったな。
ショパンの「雨だれ」とか。

ただ、毎年この季節は、現実的に言えばカビが生えたり、洗濯物が乾かなかったり、湿度が高かったり、田舎では災害があったりするので、一般的に人からは歓迎されないだろう。

のんきに雨を楽しめる余裕があることは幸せに違いない。
夜中に目が覚めたときに聴こえる、静寂の中のザーザーの雨音。
いいなあ。

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空がとっても低い

やっと梅雨らしい日になった。

午後から土砂降り、で横殴りの雨。

でも、帰宅する頃はなんとなく雨があがり、そしてまた降った。

もう、梅雨と言うには遅い時期。

今年は台風が強いだろうか。

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親父の一番長い日

昨夜、さだまさしの代表曲「親父の一番長い日」をモチーフとしたドラマが放映された。
僕がこの曲を一番最初に聴いたのはいつだろうか?
確か、大学1年の時に下宿していた家の友達がさだまさしファンで、その人から聴かされた気がする。
なかなか、この曲は泣かせる曲だ。

ドラマを一通り見てみたが、感想はやはりイマイチで、所詮テレビドラマの域を超えなかった。
と言うのが、原曲の時代設定だとか、細かいセリフだとか感情表現だとか、人間関係の設定が違っていて、やはり曲とドラマは別物だと言う感じはぬぐえない。

また、主演が長澤まさみだったが、これがまたイマイチリアリティに欠ける。
早い話、キレイすぎ。
原作者のさだまさし自身が友情出演していたが、よくこのドラマの制作にOKを出したな~と不思議に思った。

話は変わるが僕は最近、早寝早起きである。
今まで、毎日、夜更かしをして酒ばっか飲んで、ギリギリまで寝る生活を改めようと思った。
大体、夜9時過ぎには寝て、朝5時過ぎに起きる生活。
アルコールも週4日は休肝日、土日月の3日飲む、と言う生活だ。
この生活が始まって半月近く経つが、なかなかイイ!

まず、朝早く起きるということで、出勤前にかなりの余裕がある。
犬の散歩をして、シャワーを浴びて、時間があれば映画を見たり読書をしたりする。
チロルも早起きしたときは、絵本を読んであげたりする。
朝食もゆっくりしっかり食べれる。
そして、出勤後も頭がさえて仕事もはかどるのだ。
しっかり寝るせいか、昼間眠くなることもない。
出来るだけこの生活を続けよう。

また最近凝っていることは、寝る時にアロマを炊くこと。
色々なにおいのアロマを買ってたのしんでいる。
匂いも、リラックスの一種。

↓チロルと今年最初の花火をやった。

Cimg1034

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脳死は死か?

6月だと言うのに、さわやかな日が続く。

でも、この天気も今日までのようで、天気予報によると明日は雨のようだ。

一昨日、出張先のホテルでTV見たら、国会で「脳死は人の死」と定めるA案が通過したとのこと。

賛否両論あるが、これが可決されれば、今度は「脳死」における定義が必要になる。

この件と関連があるが、「安楽死・尊厳死」と言う言葉がある。

人間が人間として生きるための倫理観が問われる問題であるが、もし家族が激しい苦痛を伴う病気(且つ治る見込みのない)であったり、生きていることが人間としての尊厳を損なうケースや人間としての機能が果たせないただ心臓が動いているだけのケースだった場合、自分はどのような選択をするのか、今はなかなか想像しがたい。

ただ、僕自身がそのような立場になったら、こう思う。

出来るだけ家族や周りの人に負担をかけたくないと言うこと。

そして、医療の力に頼らなければ、生きられない、と言う選択は避けたいと言うこと。
(治療の一環としての薬物投与や糖尿病などのインシュリンは別だが)

この2点である。

このような状態になったら、積極的は延命治療は避け、可能な限り自分の生命力で生き、そして時が来たら出来る限り自然に去っていきたい。
自分の意思を確認できないような状態になったら、積極的な治療はやめ、提供できる部分があれば提供したいと思う。

多くの人が誤解しているが、僕が思うには、不自然な形で生き延びえると言うのは、その人の生命力と言うより、むしろ医療技術の進歩の結果であると思う。

フォレスト・ガンプと言う映画の中で言っていた。

「“死”は生の一部」であると言うこと。

人は“死”を持って“生”を全うする。

そして、部分的にも自分の中で健康なものがあり、それが人の役に経つのであれば、“身を挺して”、困っている人に提供することも、それはそれで「死にがい」があることのような気がする。

Cimg1032 我が家の庭の野いちご

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癒しのコツ

昨日、チロルにオカヤドカリを買ってあげた。

チロルは、変わったところがあって、庭からトカゲだの、ダンゴムシだのをつかまえて部屋で飼いたがるのだ。

先日は、水槽に入れていたトカゲ(普通のどこにでもいる)が死んでおり、それを台所で洗っているのを見つけギョッとした。

そのいきさつがあって、結局ヤドカリを買ってあげるから、トカゲとかムシとかを部屋に持ち込まないこと。とした。

Mサイズのヤドカリを飼ったが、想像以上に大きく、ピンポン玉くらいの大きさくらいあった。

買った水槽が小さく感じるくらいだ。

それにしても、ヤドカリは思いのほか元気に動き回るので見飽きない。

以前ザリガニを飼っていたが、ザリガニなんかよりずっと面白そうだ。

昨日はそれから、新しいアロマオイルを買ってきた。

我が家でアロマは寝る時の必需品。

これまで、ローズマリーを炊いて寝ていたが、ちょっと飽きてきた。

昨日買ったオイルは「ロンドン」と言う名の結構おしゃれな香りである。

オカヤドカリとアロマ・・・ちょっとした癒しにつながりそうだ。

Yadokari オカヤドカリ(眠ってます)

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雨の水曜日

昨日から梅雨に入ったようだ。

そして昨日は、水曜日だった。

実は、古内東子の「雨の水曜日」と言う曲が好きである。

僕は個人的に、梅雨の時期はそんなにキライではない。

通勤の時は、ちょっとうっとうしいが、休日の朝などシトシト降る雨など好きなのだ。

それと、僕とフランチェスカは、夜寝ている時など、土砂降りの雨が屋根などに叩きつける音が結構好きである。

それでも以前は雨漏りなど心配だったが、今年の初め屋根を修理したので今年は安心だ。

今日はうってかわってイイ天気。

6月は、雨が続くとどんよりとした雰囲気だが、カラッと晴れた日は、日が長いんだな~と思った。

8時近くまで明るかった。

※古内東子の「雨の水曜日」はこちらから聴けます。

http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SR/TokoFuruuchi/SRCL-3306/index.html

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何故泣けないのかな、ひどく寂しいのに

先週の土日は、運動会やフランチェスカの研修があったりして、ゆっくり出来なかった。

その分、今週はゆっくりと休日を過ごせそうだ。

最近、心がけようと思っていることは、早寝早起きとストレッチ体操。

早寝早起きは本で読んで、心がけようと思った。

やっぱり、人間自然の法則(暗くなったら休み、夜明けとともに活動をはじめる)に従って、生活をするほうが、肉体的にも精神的にも良いようだ。

とは言っても、なかなかズルズルと夜起きてしまう。

それでも、どんなに遅くとも12時前には布団に入る。

本当は9時に寝て6時前に起きたい。

そして、トトとムームを散歩させ、朝読書するくらいの余裕が欲しい。

ストレッチに関しては、肩こりとかが僕はヒドイので、少しでも解消したい。

本当はヨガとかをやりたいのだが、スポーツクラブのヨガの時間帯がどうしても行けない時間なのだ。

精神も体も柔軟にさせ、生き方そのものも柔軟になりたい。

しなる枝ほど強い、そう思う今日この頃だ。

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6月は蒼く煙って

早いもので、もう6月だ。
今年も、あと下半期過ぎれば年末。
こうやって、日々過ぎていくのだろうか?

40歳になったが、なんの感慨もない。
あるのは、あと20年経てば定年だと言うことだ。
でも、あと20年と言う月日は、ちょうど、20歳の頃から今に至るまでの月日である。
これまでの20年が早いだろうか、それともこれからの20年が早いのだろうか?

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